2001

長崎県西彼杵郡高島町「端島」。これがこの島の本当の名前である。
もともと端島は小さな岩礁であったが、周囲をコンクリートの壁で埋め立てられ、また拡張を繰り返し、
現在の形状になった炭鉱の半人工島である。
外観が戦艦に似ている事から、「軍艦島」という名で呼ばれるようになった。
全長 480m 、全幅 160m 、周囲 1,200mのわずか約6.3haの小島に最盛期には島内居住者
が5,200人を超え、1ha当たり1,400人を超す驚異的な超高密度人口の中で人々は暮らしていた。
1810年に石炭が発見され、1870年より開鉱、最盛期には年間41万トンを採掘し、84年間の長期に
渡り、良質の製鉄用原料炭を供給し、日本の近代化・工業化を支えていた。
この小さな島には生活に必要なあらゆる共用施設が整備され、1つの完成した都市空間が広がっていた。
中には日本最古の鉄筋コンクリート造りの貴重なアパートもある。
何代にも渡り日本のエネルギーを支え、掘り続けた人達がいた。その暗く深い坑内は常に坑夫の汗が光り、
そして厳しい環境だったと思う。
その反面、地上にはやさしさと潤いの豊かな家庭と、その生活があったに違いない。  
しかし、石炭から石油、そして原子力へとエネルギーの移行により、1974年1月15日に閉山となった。
石炭産業だけで発展した島であった為に、閉山後たった3ヶ月で無人島となる。


端島が閉山して、あと数年で30年になろうとしている。
1992年友人が軍艦島に上陸し、その写真を見せてもらった時、ものすごい衝撃が走った。
こんな島があるなんて!本当に日本にあるのだろうか!と。
どうしても、この島に上陸したい。そして、写真に納めたい。と思い2年後の1994年に初上陸する事ができた。
これまで2001年春までに5回上陸し、過去の歴史の中に消えかけている、この海上都市「端島」を撮り続けています。


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